
Episode #71
大人ってなに?|『40歳だけど大人になりたい』王谷晶
#68【ひとり回】 今回は、作家・ 王谷晶さんのエッセイ『40歳だけど大人になりたい』 を片手に、「大人って結局なんなんだろう」を考える読書回。 とはいえ、本の内容を順番に紹介する落ち着いたブックレビューにはならない。 「わかる!」と大喜びした数分後には「いや、それは異議ありです」と反論し、気づけば国家試験翌日の山登り、まったく足が動かなかったフットサル、酔っ払って「お箸食べる」と言い出した夜まで掘り返されています。 年齢だけは着実に増えていくのに、内側には完成した“大人”が現れない。 むしろ30歳前後になってようやく、自分が何を好きで、何が苦手で、何に妙に引っかかる人間なのかが少しずつ見えてきた気がします。 ▪️ 30歳くらいで、ようやく「物心」がついてくる 『40歳だけど大人になりたい』に出てくる、「30歳になったあたりから、やっと物心がついた気がする」という感覚に強く反応。 子どもの頃に想像していた“物心”とは少し違って、大人になってからの物心とは、 自分のこだわりを発見していくこと なのかもしれません。 「これは好き」「これは苦手」「これは別にみんなと同じじゃなくていい」。 経験が増えるほど世界の解像度が上がり、自分の輪郭も見えてくる。 ただし、こだわりが増えすぎれば頑固にもなる。 自分がわかってくる心地よさと、融通が利かなくなる怖さ。 この両方があるところに、大人になることのややこしさがありそうです。 ▪️ 早く歳を取りたかったのに、歳を取れば全部解決するわけではない 若さを惜しむより、昔から「早く20歳、30歳になりたい」と思っていたという話にも共感。 周囲から「若いほうが得じゃない?」と言われても、どうもその感覚には乗れない。 30歳になってようやく、外見や年齢と中身が少し追いついてきた感じがする。 とはいえ、歳を取れば勝手に完成した大人になるわけでもないらしい。 ▪️ 「休む」ができない人は、どうやって頭を止めるのか 何もしない日を作っても、映画を観ても、知らない街へ出かけても、結局ずっと考え事をしている。 頭の中では、よく滑るルービックキューブのようなものが延々回っている。 考えること自体は楽しい。でも、楽しいからこそ止まらず、結果として疲れる。 そこで必要になるのが、考える余地を強制的に奪う 身体を使う活動 。 薬剤師国家試験の翌日に友人と山へ登ったことも、今思えば自分なりの正常な「頭の休ませ方」だったのではないか。 休むために寝る人もいれば、休むために山へ行く人もいるらしい。 ▪️ 趣味は「受け取る」だけじゃなく、「出す」ものでもある 映画、ゲーム、推し活など、完成されたものを楽しむ インプットの趣味 。 一方で、ポッドキャストや音楽のように、自分の中にあるものを外へ出す アウトプットの趣味 。 昔は「趣味とは何かを受け取って楽しむもの」だと思っていたけれど、どうも自分はそれだけでは足りない。 受け取った刺激を噛み砕き、自分の経験と混ぜ、言葉にして「聞いて聞いて」と誰かに渡したい。 周囲から「今日も楽しそうだね」と言われるのも、世界から受け取る刺激の量と、それに対するリアクションが人より大きいからなのかもしれません。 気づけば、 「なぜポッドキャストをやっているのか」 の自己分析まで始まっています。 ▪️ 大人は趣味にのめり込まない?――ここで突然の「異議あり」 王谷さんが「大人っぽさとは趣味の内容ではなく、趣味との距離の取り方にあるのかもしれない」と考える場面では、ここまでの全面共感から一転して異議申し立て。 何かにのめり込める時間こそ、人生のかなり幸福な部分なのではないか。 何にも夢中になっていない時期は、感覚としてほとんど屍に近い。 ▪️ 大人が集まると、なぜ健康の話ばかりするのか 40代になり、友人同士の健康話が面白くなってきたというくだりから、元薬剤師として見てきた 「年齢とともに健康が巨大コンテンツ化する現象」 へ。 「血圧デュエル」「睡眠時間バトル」という謎競技に少し参加したくなりつつ、健康とは身体の問題であると同時に、年齢を重ねた人たちの 共通コンテンツ にもなっていくのかもしれません。 ▪️ お酒で「自分を失う」と、大人の責任はどこへ行くのか お酒の章では、過去の失敗を墓場まで持っていきたい王谷さんに対し、こちらも直近の居酒屋収録という強烈な証拠を抱えて参戦。 「いい店のお酒にも、ちゃんとアルコールは入っている」という当たり前のことを30歳になって再確認し、ベロベロになった末に「お箸食べる」と発言していた音声まで残っていました。 一方で、「酔っていたから」を失敗の免罪符にする人は嫌い、という価値観もある。 自分を失うために酒を飲みたい気持ちと、失った自分の行動にも責任はあるという感覚。 ▪️ みんな、お金のことをどこで習ってきたの? 家、住宅ローン、投資、ふるさと納税。 同世代が次々と「大人っぽいお金の話」を始める一方、どうしてみんなそんな知識を自然に身につけているのかわからない。 「自分以外の人だけが通っていた秘密の学校があるのでは」と思いたくなる感覚に、またしても共感します。 ところが王谷さんが毎年ひとりで確定申告をしていると知り、「全然同じじゃない、勝てねえ」と突然の勝負開始。 考えてみれば、大人っぽさとは本人が「できない」と思っている部分ではなく、 当たり前すぎて自分では数えていない実務 の中に隠れているのかもしれません。 ▪️ 小説家は「体験していないこと」を、なぜ書けるのか 終盤は「フィクションと大人」から、書くこと・喋ることそのものへ。 自分が体験したことを話すのは比較的簡単でも、体験していないことを「見てきたように」書く小説家は、一体何をしているのか。 作品に触れるたび、「もしこの人物が別の行動をしていたら」「違う組み合わせだったら」と無限にIFを考えてしまうという話から、王谷さんの短編集『完璧じゃない、あたしたち』にも接続します。 読書とは完成品を受け取ることだけではなく、 他人の想像力に触れて、自分の想像力まで動かされること なのかもしれません。 本を読みながら「わかる」を連発し、たまに全力で反論し、そのたびに自分の過去まで引っ張り出してくる今回。 『40歳だけど大人になりたい』を読んでいたはずが、最後には、 「自分は何を受け取り、それをどう咀嚼し、どう外に出して生きたい人なのか」 を確認する回になりました。





